JIA建築家大会2013北海道
基調講演
関野 吉晴
JIA National Convention 2013 Hokkaido
key note lecture
Sekino Yoshiharu
2013.09.06 / 14:00〜15:30
札幌市教育文化会館 大ホール
人類への旅 グレートジャーニー
『地球を這って考えたこと』~人と自然との関係
私は41年間に5000日以上かけて世界の厳しい環境を歩き、自然と一体となって生活する人々と暮らしを共にしてきました。人類の大先輩たちが培ってきた知識、技術とともに、こうした伝統社会に今なお生き続けている知恵の数々をご紹介します。これから私たちがどのように生きていったらいいのかを、彼らの生き方をヒントにして、一緒に考えていきたいと思っています。
プロフィール
〈関野吉晴〉SEKINO YOSHIHARU
1949年1月20日東京都墨田区生まれ
1967年 都立両国高校卒業
1975年 一橋大学法学部卒業
1982年 横浜市立大学医学部卒業
一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。
その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。
1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発して以来、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。
2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。
1999年 植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞
2000年 旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞
現在、武蔵野美術大学教授(文化人類学)
札幌市教育文化会館 大ホール
人類への旅 グレートジャーニー
『地球を這って考えたこと』~人と自然との関係
私は41年間に5000日以上かけて世界の厳しい環境を歩き、自然と一体となって生活する人々と暮らしを共にしてきました。人類の大先輩たちが培ってきた知識、技術とともに、こうした伝統社会に今なお生き続けている知恵の数々をご紹介します。これから私たちがどのように生きていったらいいのかを、彼らの生き方をヒントにして、一緒に考えていきたいと思っています。
プロフィール
〈関野吉晴〉SEKINO YOSHIHARU
1949年1月20日東京都墨田区生まれ
1967年 都立両国高校卒業
1975年 一橋大学法学部卒業
1982年 横浜市立大学医学部卒業
一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。
その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。
1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発して以来、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。
2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。
1999年 植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞
2000年 旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞
現在、武蔵野美術大学教授(文化人類学)
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