再見「ロングランエッセイ」の+と-
44:「 フィンランドの教会 」 住宅雑誌リプラン59号(2003年1月1日)より一部転載
今年の春に、三十年ぶりにヘルシンキを訪れた。新しいものを見ることも楽しみであったが、三十年前に見たもののなかで、もう一度体験しておきたい空間があった。
岩盤を上から掘り込み、広場を造り、その上に屋根を載せた教会である。この教会のなかの壁は、岩盤が掘られたままの姿なので、荒々しい。しかし、天井は、ゆるやかなドームになっているので、柔らかく優しい。天井の中央部は、丸く銅板で葺いてあるが、壁際のほうはぐるりとガラス張りになっている。そのガラス面から入ってくる白い透明な光によって、礼拝する空間は現実感を失い、紫の座は、いっそう象徴的に見える。外からはただの岩山にしか見えない、その下に、これだけ大きな、しかもこれほど爽やかな空間を内包しているとは、誰も予想できない。予備知識の無いまま、暗い入り口から礼拝堂に入ると、ほとんどの人が息を呑む。
フィンランドの教会は、どれも空間的な魅力によって成り立っている。後から取り付ける装飾品に頼っていない。建築を考え始めた時から、魅力的な空間を造ろうとしている。住宅にあってもやはり、装飾品に頼ることなく、空間そのものの魅力を、はじめから目指さなければいけないと思った。
+: この1969年竣工のテンペリアウキオ教会は(岩の教会)と呼ばれ、今も見学者も多いが、私は28歳の時に訪れ、その後も幾度となく訪れている。岩に囲まれた、力強い、原始的な勢いの中にある爽やかな空間に包まれるとすっかり感激してしまう。しかし、次に訪れた時には、少し薄らいできた感動を揺さぶられ、もう一度心躍らされ、前以上に感心させられてしまう力がある。2年前の フィンランドへの旅で、1941年トゥルクに建てられたエリック・ブリュックマンの復活教会を訪 れたが、ここも(岩の教会)と同じように、空間そのものの形とそこへの光の導入に心を砕いて造ってあるせいで、そこの空間に入るとすぐに、見るというよりも先に、視覚を超えて心に迫るものを感じることができる。写真や立体的に表現しようとする映像でも、伝え切ることの出来ないも の、そこにある空間を体験しなければ伝わらない身体全体で実感するものがある。建築にとっては、空間体験こそ最も大事で必要なことである。さらに、ひとつは50年前、もうひとつは80年前に建てられた建築であることに驚くべきことであり、人の心に残ることしか、持続可能なことにつながらないと思う。