再見「ロングランエッセイ」の+と-
43:「 碍子 」 住宅雑誌リプラン58号(2002年10月1日)より一部転載
小さくて白い磁器でできた「碍子」を使って、露出で配線したことがある。これは美しい。五十年ぐらい前は、大きな倉庫などで見かけられた配線の方法だが、今はほとんど見ない。こういう配線ができる職人はもういないといわれたが、たまたま休業していた職人を一人、探し出した。久しぶりの仕事だから、要領を思い出すのに時間がかかったに違いないが、約三百五十個もの「碍子」を、一人で配線した。直径四ミリほどの線が、天井に沿って平行に何本も走っているのを見ると、電気が勢いよく通っているという感じがして、わくわくする。いつもは、天井の中に隠されていた配線が、表に出てきた姿には美しささえある。
外側だけがきれいに造られたり、見え方だけが大事にされる時代になっているせいか、美容整形やエステの話題が男女を問わず多くなっている。もっと、うわべの表面の下に隠されているものの魅力を知ること、見ることが大事ではないだろうか。
+: 数年前、ブロック職人に「厚別に面白いブロックの納屋がある」といわれ、見に行った。ブロック造にマンサードの屋根が掛かっていたが、ともかく目を引いたのは、ブロックのコーナー部分だった。普通は、ブロックのエッジを効かせる処が、くるりと曲面になっていて、エッジが厳しくなく、優しい感じになっていた。これは牛や馬ではなく、もふもふした羊が飼われていたようにも思えたが、最近は、ほとんど見掛けなくなったという。
図面で残したいと、今年になって内部に入れてもらった。2階に上がるとマンサード屋根特有の細身なフレームがきれいに並び、ドームのような不思議な空間が広がっていた。角の丸いブロックと2階のドームは、酪農文化移入の名残かもしれないと言ったら、酪農家の息子に「実家の牛舎のマンサードの屋根の骨組みが、20メートルも並んだ姿は、もっと格好良かった」といわれて、 ちょっと負けたような気がした。