再見「ロングランエッセイ」の+と-

34:「 (なら)とタモ 」  住宅雑誌リプラン49号(2000年7月1日)より一部転載

定山渓のあるホテルに、楢(なら)、樺(かば)、楡(にれ)、タモと名付けられた特別室があった。それぞれ名前のとおり、造作材に楢、樺、楡、タモを使って造られた12帖と8帖の二間続きの落ち着いた和室で、ゆったりとおおらかな感じであった。
もう二十五年も前であるが、それ以降、和室に限らず道産材をできるだけ使うようにして独自の空間を試みてきたが、これらは決して安い材料ではないので、予算上、我慢をすることも多く口惜しい思いをしてきた。  ところが、昨年あたりから、これらの材料が急に安くなり使いやすくなってきた。これは「道産材をふんだんに使う」チャンスとばかりに喜んでいたら、「楢やタモを使うから、北海道の材料を使ったとは言いきれないぞ。安くなったのは、中国やロシアから大量の楢やタモが、輸入されたからだ。本物の北海道産だけ、使っているのか」と詰め寄られた。

+:天井は、床や壁と違って、家具や敷物で隠れることがないので、広めの部屋の天井に木を使った。木を使う楽しみは、木が持っている脂分が、次第にヤケて、スギやヒノキなどの明るものが、しっとりと落ち着いた色合いになり、椅子やテーブルや家具などと調和してくる。木も、このツヤが出てきてからが、味わいどころなので、十年、二十年と住んできた人の暮らしや住み方が染み込み、その人や家族の姿が見えてくる頃が、本当の見せ場なのです。
吉田五十八という名建築家が、「家に呼ばれて、何処と目立った所が無いけれども、座ってるだけで心地良くて、また寄せてもらいたいな。と思った家が、良い家だと思うがね。」という老棟梁の言葉をを大事にしていたという。家を上手に設計してもらうことも大事だが、上手に住むこと、楽しく住むこと、そして十年、二十年とかけて、自分達の家にすることに方が大事だということです。