再見「ロングランエッセイ」の+と-
31:「 落葉松(からまつ)の大黒柱 」 住宅雑誌リプラン46号(1999年10月1日)より一部転載
根元で直径二十八センチあり、てっぺんでも二十五センチもある、高さ五.五メートルの落葉松の柱を家のほぼ中央に建てた。土台を敷き並べてから、まっ先に、この大きな柱を建てたので、一本だけすっと建っている姿は、霊験あらたかな御神柱のように見え、お祓いするなら、上棟の時より、柱が一本立った時のほうがふさわしいと思った。
大工工事が進んで、まわりに柱が建てられ、梁で繋がり、筋交いが組まれ、母屋(もや)、垂木(たるき)が載せられ、根太(ねだ)が組まれてゆくと、一本ですっと建っていた時の神懸かり的な迫力は薄れるが、やはり構造の中心にどっしり構え、頼りになりそうである。
落葉松でも、細い材料は、ねじれて割れることが多くて、「性(しょう)が悪い」といわれて、使いこなすのが難しいが、これほど太くなると割れも、比較的真っすぐに入るので、扱いやすいという。寒さと雪のなかに佇む家には、大黒柱の持つ堂々たる安心感が、欲しくないだろうか。
+:一家の大黒柱という台詞が聞かれなくなって久しい。稼ぎの良し悪しで、決まっていたわけでなく、一家の行く末を深く考えている経験豊富な人を大黒柱と言っていた。かつては、大家族のなかで大黒柱と認められる人が、家族の求めるものや望むものをまとめ、先を読みながら家造りを進めていた。
今、ほとんどが核家族になってしまい、自分達のための家を造ろうとする。さらには、家を造る人の年齢が若くなってきて、一家の行く末まで考えることが少ない。子供たちが、幼いため、子供たちのため、勉強のためになるようにと考えることが多い。特に集合住宅に住まわれている家族が、そこでの不自由していることの解消が中心になってしまうのが、もったいない。もっと自由に考えたほうが良い。
また、子供たちと一緒に過ごせるのは、二十年あれば良い方で、大きな子供は、あっという間に家を離れてしまう。子供たちが居なくなった家で、二十年、三十年と住むことを、考えてほしいし、それからの暮らしを造ってほしいと思う。
それができる人こそ、一家の大黒柱と呼ばれ、離れた子供たちも、おのずと集まるに違いない。