再見「ロングランエッセイ」の+と-
27:「 柱 」 住宅雑誌リプラン42号(1998年10月1日)より一部転載
三内丸山遺跡の丘に、突然、6本の柱に支えられた櫓が立っていて、それぞれ太さが1mもある柱は、高さ15mを超える。四千年前に在ったと思われる櫓の柱は20mを超えていたというから、もっと壮大で、荘厳な感じさえ持っていて、そこに住む縄文人たちにとっては、誇りとなるシンボルであったに違いない。
石を一つ一つ積み上げた壁をのろのろと続く亀のあゆみとするなら、柱は、まるで脱兎のごとく、一気に高みに駆け上がる。そのため、ものを支えるという現実性から遊離し、立ち昇り、高きに浮かぶイメージを得て、抽象的な存在となる。日本の木造家屋にあった大黒柱も、より太いものが好まれたのは、構造的な必要性もさることながら、この「家を支える」という強い意志、家という組織の結束を象徴するものとして考えられたからに違いない。
三内丸山遺跡にある長さ32m、幅9mの大型竪穴住居の内部に建つ19本の柱は、構造を超え、その内部空間に質の高い抽象性をもたらし、中世西欧に造られた宗教的空間に匹敵するが、ここで立てられている太い柱は壁から離れ、独立しているために一層、その力を発揮している。このような柱の持つ力・壁の持つ力など、建築的な要素の持つ力を、新たな視点と思索を持って見直すことが、末端肥大症型の空間の多い現在を超えて、新しい空間の創造に繋がるに違いない。
+:柱の持つ、抽象性を実感する空間ができた。PC製品を生産する工場で、内部にコンクリートミキサー車が入り、鋼製型枠に生コンを流し込み、一晩蒸気養生し翌日出荷する工場である。25m×50mの広さで、天井の高さは10mを超えるので、普通は鉄骨で造るところだが、自社製品のPC製品で造ることになった。柱と梁付き屋根板で構成した幅4m、奥行25m、高さ10mの基本架構を13組連結して造った。その大きな内部空間に、13組のPC柱と梁の曲線を持った架構が、ガラスの開口部と交互に林立する空間は、驚くほど抽象的で高揚感のある空間となった。この工場を構成する部材は、PC製品のコンクリート面をそのまま現し、開口部にガラスとシャッターだけとシンプルであるが、積雪寒冷の北海道に相応しい、コンクリート打設作業を支える頑強なシェルターとなった。