再見「ロングランエッセイ」の+と-
22:「 雨見櫓 」 住宅雑誌リプラン37号(1997年7月1日)より一部転載
春には明るい日差しが戻り、草木が芽を吹き、爽やかさに満ちて心弾む。春早く小雨ふるなかで、刻々と木の芽がふくらむのを二階の茶の間から見て感激した、樹の生命力のすごさと雨の大切さを見せてくれた、その茶の間を「雨見櫓」と名付けたくなった。
目の前がきれいなモミジのある公園で、その奥の斜面は鬱蒼とした林になっている土地なので、その景色を見て暮らそうと、居間と茶の間を2階に上げた家である。小雨の降る昼時に訪れ、ビール片手に軽い四方山話をしていた。ふと窓の外を見ると、樹が大きくなったように見えるんだけれどというと、しばらく雨が降っていなかったので、久しぶりに地面に降った雨で、急に芽が膨らんだに違いないという。
たった2時間で、目に見えてふくらんでいく木の芽、樹の葉に感激した。
そぼふる雨の中で遊ぶ子供のように、落ちてくる雨に向かって枝を広げているようだ。窓から見える樹は、どれもうれしそうに枝を伸ばしているし、雨の量に合わせるように樹は、ふっくらと形を整えていく。 帰る頃になると、まわりの景色は、すっかり和らかみのある気配になっていた。
明るい日差しの中、新緑の山をドライブするときも自然の美しさを感じるが、雨がそぼふる中で見せる樹の葉のはつらさや、生命力の方が、自然の偉大さを実感できそうである。
暮らしの便利さからは、いつも嫌われ、避けられる雨や雪、風の日にこそ、はかりしれない自然のすごさに出会うことが出来る。もっと身近で自然の神秘に触れることが出来る。家のつくりかた次第ですね。
+:建築家斉藤裕が撮ったアルバー・アールトの名作ヴィラ・マイレアの一枚の写真に、朝陽に照らされた内部の煉瓦壁が写されている。緯度の高いフィンランドならではの、真横からから差し込むオレンジがかった朝陽が、居間のなかをまっすぐに通り抜けて、ひとつひとつの煉瓦に当って、影を造りながら、凹凸のある煉瓦の壁を黄金色に染めている。昼間は、白く爽やかに見える壁が、凹凸のある黄金色の壁に変わっていた。この家が、松林のなか小高いところにあるせいで、オレンジの朝陽になったのか、この光景が、どれくらい続いたのか、どんなふうに元の白いの壁に戻ったのかを確かめたいと思うが、光がなければ、どんな広がりや肌触りも判らないと教えている。住まいのなかでこそ、住む人独自のそれぞれ一人一人の時間が、ゆっくりだが、しっかりと刻まれていることを自覚して、その時、そこでしか現れない一瞬の光景のなかで、一人一人の心に生まれる、一瞬の情景や感情を大事にしたい。