再見「ロングランエッセイ」の+と-

21:「 雪見酒 」  住宅雑誌リプラン36号(1997年4月1日)より一部転載

雪の少ない雪祭りの後、急に雪が降り始めた。 待っていたように雪見酒の誘いがきた。2階の屋根を見渡せるように造った雪見櫓は、3方をガラスに囲まれている。
昨夜の吹雪のおかげで、雪のなかにすっぽり埋まったように雪漫々の風景である。
小さな塗りの文机に酒を載せて、白磁の杯で飲む。明かりに照らされた雪が静かに舞い落ちるのもきれいであるが、風が強くなって雪が激しく流れるほうが、吹雪に飲み込まれたようで迫力がある。深い海に潜るとその紺碧の色のなかで、神秘的な空間体験をするというが、ここでは揺らめく白色に神秘を見る。風の強さによって、雪の流れがせせらぎになったり、速水になったり、奔流になる様子を見るのは飽きることがない。
暖炉で燃える炎の揺らめきを眺めるのも飽きることがないのと同じように、心落ち着かせるこの揺らぎは、人間にとって根源的な揺らぎの旋律のように思える。ただ、毎日むやみに忙しなく働き回って、あくせくするうちに、もともと持っていた人間の旋律を失ってしまっているのであろう。炎や雪の流れの揺らぎに遭って、その旋律を思い出すと心底の心に響いて、身じろぎできないほど見つめていることになるのに違いない。
吹雪のなかで揺らめく雪の舞いは、明かりの消えた夜の空でいっそう神秘さを増して、より清洌な魔界を造るので、無理に交わす言葉も要らない。酒が喉を通るとシンと音がするだけである。日常を超えた精神性にも、心を配りたいものである。

+:この雪見櫓が、闇櫓に変わったことがある。月の出てない夏の夜、部屋の灯りを消し、数人で盃頼りに酒を楽しんでいて、ふと話がと切れた時、一人の婦人が、せきを切ったように、亡き夫の話をはじめた。突然、亡くなったこともあり、涙声となった低い声が、闇の中に染み込むように、そして、聞く人の心にも染み込むように静かに流れた。闇が、泣き顔を見せずに済むので、話しやすくなったようだが、肩が小刻みに揺れ、声にも震えが感じられた。ひと通りの話が終わり、シンとしたあと、(すみませんでした。)という婦人の落ち着いた声のあとも静けさは続いた。しばらく静かに過ぎたが、次第に声も大きくなり、元の柔らかさに戻った。
明るく楽しく豊かさだけが、人の暮らしを支えてくれるだけでなく、こういう声だけ、聴覚だけの世界、闇の空間の持つ力を感じることができた。