再見「ロングランエッセイ」の+と-
19:「 サスティナブル 」 住宅雑誌リプラン34号(1996年10月1日)より一部転載
今、『使い捨て』から『使い込み』の時代になってきた。大量生産、消費拡大の掛け声の中で『使い捨て』が一番といわれて、多くのものが使い捨てシステムに変わってしまい、使い捨てられたものに溢れて、大量のゴミに悩まされている。
「持続可能な~」という意味で、1992年6月にリオデジャネイロで開かれた地球サミットの頃から多く使われ出した言葉である。サミットでは、大気中の二酸化炭素の濃度の増加、汚染される海浜、伐採の止まらない熱帯雨林、酸性雨、砂漠の増大など、地球規模での危機的状況のなかで、どうやって『持続可能な地球』を作っていくかということがテーマになり、持続可能な、という意味の『サスティナブル』が合言葉になった。
省エネルギーの掛け声のもとで、暖房費をどれだけ安くできるかと工夫を懲らし、外国技術を取り入れ、生活習慣を変えるまでになった北海道の住まい造りは、サスティナブル、持続可能な建築を作る意味では、日本の中では最先端を進んでいる。
しかし、自分の家をどれだけ安く造るか、ばかりが気になり、社会全体の省エネルギーにまで眼が届かず、持続可能な社会を、という発想にまで行っていないのが残念である。
北海道の自然の豊かさに甘えず、自然と共生する持続可能な建築を造り、持続可能な社会、持続可能な地球を造ることにつなげていきたいものである。来年一月に釧路で、サスティナブル<持続可能な建築>を主題にした国際会議が行われるが、どんなものが出てくるか楽しみである。
+:2015年に国連で、持続可能な開発目標SDGsが承認されて、日本中にサスティナブルという言葉が広まっている。サスティナブルという言葉が、世界中に届いたのは、1992年リオデジャネイロで開かれた地球サミットで、カナダの12歳の少女セバスチャン・スズキの[未来の子供たちに、取り返しの出来ないものを残すな。この会場の(大人・あなたたち)責務です。]という伝説的演説である。また、2019年ニューヨークの国連気候行動サミットで、スウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥーンベリの行った[気候変動に向かう姿勢の欺瞞への告発]の演説などで、サスティブルやSDGsの運動が広がってきている。彼女たちの動画を是非、見てください。
その頃北海道では、厳しい気候の中での省エネルギー住宅を模索中でしたが、そのレベルの高さから、PLEA:Passive and Low Energy Architecture:国際会議が、1997年1月に釧路で開催され、成功した。この時から、北海道の建築界では、サスティナブルという言葉が通じたが、専門用語にとどまってしまったのが、悔しい!