再見「ロングランエッセイ」の+と-
12:「 仕立て 」 住宅雑誌リプラン27号(平成7年1月1日)より一部転載
内地で、絣の着物をさりげなく、上手に着こなしていた娘を見かけた。さらりとした着付けもさることながら、仕立てが良かったので、颯爽と見えた。着物は、生地が良いことも大事だが、縫い上げる技術、仕立てが良くなければいけない。
かつては、生地と仕立ては別に考えていた。仕立ての技術と賃金が上手にかみ合って、技術の優秀なものには、高い賃金が払われていた。近頃の大量生産のものは、ほとんどが仕立賃込みで、どこまでが材料代で、どこからが仕立賃なのかわからない。買う方は、同じ値段でなるべく良い素材のものを手に入れようとするので、仕立ての善し悪しを見ないし、見られなくなった。自分で生地を買って、別に仕立てを頼めば、仕立ての技量もわかるが、今のようでは、仕立ての善し悪しは判断できない。
住まいについても、同じである。材料と仕立て代が一緒になった、坪当たり幾らの仕事では、立派な素材を使うほど、仕立賃は安くなり、せっかくの素材の良さが活かしきれない。高価な素材を安い仕立賃で造るよりも、安い素材に豊かな仕立賃を掛けて造る方が、人に優しい、温もりのある住まいに仕上がる。そうすることによって、住まいを仕立てる基本的な技術が向上してゆく。優れた技術に、豊かな仕立賃を用意して、心地よい住まいを造りたいものである。
十:50年前になるが、デザイン関連の人たちと北欧に行った。帽子を造る人、洋服を造る人、つまり仕立をする人たちも居たが、布地や皮革を見る目付きは、いつもの柔和なものではなく厳しさがあった。青盤舎という民芸品を売っていた店で、赤みの入った「阿波ちじみ」という反物が気に入って買っていたので、洋裁の先生に「シャツみたいの造れますか?」と聞いたら、「まかせなさい」と言われた。しばらくしたら、襟の立ったベトナムあたりで見かけるようなサラリとしたシャツが出来てきた。お腹が出ていなかった頃なので、着た姿の評判は良かった。
その後、建築の設計事務所に移ったので、建築の素材を勉強するようになって、布地を見ることも少なくなってきた。その頃から、仕立料込みの既製服の販売が増え、デザインの幅も広がったせいで、ますます布地を買うことも少なくなったが、たまに「お仕立券付」のシャツの布地やスーツ服地を戴いた時は、大変うれしいものだった。自分だけのものを持っているという自尊心を感じることができた。
住宅設計にあっても、他にはない、貴方だけのものを造らせてもらっている。住む人が自分だけのものに住んでいるという自信を持ってもらえるように、いくつもの住まいを仕立ててきたと自負しているが、どうだろうか。