再見「ロングランエッセイ」の十と一
圓山彬雄です。リプランで、連載していたエッセイに、コメントをつけてみようと思ったついでに、ブログに投稿することにしました。よろしく。
3:「 硯 」 住宅雑誌リプラン18号(平成4年10月1日)より転載
ひさしぶりに、硯で書面を書くこととなった。
どうにか探し当てた墨と硯はすっかり乾いてしまっていて、水に馴染むまでにはずいぶんと時間がかかった。
良い硯を長い間うち捨てておくと、石の硯でも「死んで」しまうのだという。それをよみがえらせるには、一人の下僕を雇い入れ毎日毎日、硯を清水に沈めては引き上げ自然に乾かし、乾き切ったところで再び清水に沈める。このようにして朝から水を汲み、夜半まで沈めたり乾かしたりを繰り返す。これを一年ないし二年ほど続けると、ようやく硯に生気がよみがえり『活気』を帯び始める。そこで硯として使い始めるという。
硯に限らず、住まいでも同じである。人の住まなくなった家は、人の手の温かみを失い、見る見る生気を失っていく。人が住んでも手入れを怠れば少しずつ生気を失い、みすぼらしくなっていく。
近頃の家は効率よくできているので、たいそう便利になり、手間のかからないものになっているがその分、人の心や人の手のぬくもりが住まいに伝わっていないようだ。
湿り気と人の手の温かみを得て、ますます生気溌剌となり、日に日に美しくなっていく硯のように、住まいにも毎日人の手の温もりを加えて、しだいに美しくなる住まい方をしてほしいものです。
十:家に誰も居ない時間が、どんどん増えている。両親は働いて、子供たちは、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、合間に塾で大学から就職。みんなが、家に一日中居ることが稀になってしまった。コロナで、みんなが家に居るようになって、家は、喜んでいると思う。家のなかのあちこちに、みんなの手や息がかかって、家に温もりがたまってくる。気になるところに手を入れたりすると、どんどん居心地が良くなって、あなたたちだけの自慢の住まいに変わっていきます。どうぞよろしく。