再見「ロングランエッセイ」の+と-
71:「 爽やかさを掘り起こす 」 住宅雑誌リプラン86号(2009年11月26日)より一部転載
整理整頓が苦手なほうであったし、「さまざまな情報が錯綜する混沌のなかにこそ、正しい答えがある」という信念を持っていたが、事務所をはじめてから、三十年も経ったし、スタッフの数が少なくなったことから、保管しておいた資料や図面を思い切って処分した。片付ける時に迷って、「とりあえず」置いておこうという判断の軟弱さが、七トンの産廃を産んだのである。 それまでイロイロ雑多なものに占拠されて、すっかり見えなくなっていた空間の「爽やかさ」が、はっきり見えるようになったのである。言い換えれば、雑多なものに埋まってしまっていた爽やかさを掘り起こしたのである。
この「がらんどう」の空間に、コンクリートブロックを脚にして、木の天板を載せたテーブルを造ったら、展示するのに良さそうなスペースができたが、どこの住まいでも同じことが必ず起きているに違いない。雑多なものを捨てると、埋まってしまっている「爽やかさ」を、掘り起こすことができますと伝えないと”
+: 話題を変えますが、北海道の住宅建築を日本中に知らしめた編集者ー日本建築学会からもその業績を表彰されたー平良敬一さんの話題です。当時住宅建築を紹介する全国誌として君臨していた雑誌「住宅建築」の編集長をやられていた1986年に「別冊22号」として、「北国の住まい 組積造の住宅」を刊行、1989年に同様に「別冊37号」として「北国の住まい 新しい潮流」を刊行し、全国に北海道の住宅建築とそれらを設計する建築家を紹介した。それにより、新建築社が「住宅特集」を立ち上げ、北海道の若手建築家の住宅も紹介されることが増えたほどの影響を与えたー北海道の建築家の恩人のような編集者でした。唯一の著作「機能主義を超えるもの」出版記念が、学士会館で行われましたが、発起人として壇上に並んだのは、磯崎新、原広司、長谷川堯などですから、平良敬一の人望は恐るべきものでした。2010年から仙台に移られていましたが、2020年4月29日に94歳で亡くなられたのは、存じ上げていましたが、偶然、WEB版「建築討論」建築と戦後 70年 「平良敬一(1926〜)運動の媒体としてのジャーナリズム」を見つけました。亡くなる4年ほど前、2016年冬に、編集者橋本純、明治大学青井哲人、明治大学石樽和督が聴き取るとるような対談形式でまとめられています。他の編集者などの逸話もあり、興味深く見ました。今の建築ジャーナリズムに不満がある人は、必読です。