再見「ロングランエッセイ」の+と-

67:「 小さな家 」  住宅雑誌リプラン82号(2008年11月26日)より一部転載

 二十三年前に設計した小さな家を訪れた。はじめは、十八坪の家を建て、その後に五坪ほどの増築をした家である。温室の管理のために温室にくっつく形で建てたので、温室の暖房を利用して暮らす家になった。一階の居間は土間になっているし、屋根の半分がガラスになっているという画期的なものであった。外装は鉄板で、内装はベニヤのままであるが、屋根のガラスにお金を掛けた。二十三年経った今でも、十分に画期的な家だが、これが今も魅力的に見えるのは、住む人に上手に住みこなす力があったからである。
 当時二歳だった娘さんが、お嫁に行ったというが、夫婦二人の家として、過不足が無い感じがするし、雑多が、雑多に見えない躾の倫理観こそが、この小さな家がつくり出した「住まい力」の極意に違いない。小さな家に学ぶ必要があると思う。
 環境に優しいことが叫ばれているが、実は「小さいことこそが、一番環境に優しいことである」と気が付いて欲しい。

+: 家は小さかったけれど、敷地には温室があったので、温室をあった部分に、小さな子供室と倉庫を増築していた。室内の居間の広さは八畳くらいだったが、外に居心地の良いスペース(外の居間と呼んでいた)を造って、黄葉アカシヤの木陰でさわやかな夏を楽しんでいたし、冬は、寒月を眺めてオンザロックを嗜んでいた。四季を通して、庭と一体になった暮らしをされていたが、転居された後に小さな家が建てられていた。楽しんでいた庭があったことが災いし、敷地いっぱいの車庫付きの四角い家が、二軒ピッタリ並んで建っていた。
 ここに来ると未だに、あの小さくてかわいい「小さな家」が思い出されると同時に、小さな家での暮らし方の上手だった工藤さん達の立ち居振る舞いを懐かしく思う。