再見「ロングランエッセイ」の+と-
57:「 また来ます 」 住宅雑誌リプラン72号(2006年4月1日)より一部転載
「大理石がいっぱいあってびっくりした。川でいっぱい遊んで楽しかった。また来ます」。 長いテーブルに置かれたノートには、アルテピアッツア美唄にきた人たちのたくさんの想いが書かれている。窓の外には緑の芝生の中に白い大理石の二つの彫刻がきりっと立ち、その足元から白い小さな丸い大理石を集めた流れが始まって大きめのまん丸な池もある。
彫刻家・安田侃が二十年前に美唄市の廃校になった小学校の古い体育館をアトリエにしたことがきっかけで、それから少しずつイタリアから彫刻作品を運んできた。彫刻をすえるときに「この彫刻が、大地に置かれる瞬間、アルテピアッツア美唄の空気が吸えるかどうか、この地で生きていけるかどうかの分かれ目になるような気がしてドキドキする。子供たちが一緒に遊んでくれるだろうか?と思う」という繊細さで彫刻の位置を決めていったという。彫刻とそれの置かれる空間には絶妙な、間合いが生まれている。ここアルテピアッツア美唄に漂う、他では感じられない、はかりしれない優しさは只者ではない。
さらに「雪降る夜に、ひとり空を見つめているような心地になります。何か大きな懐かしいものに出会えた気がして立ち去りがたいのです」と書いてあった。
+: 十数年前に、札幌近くの町の山のなかに、樹木葬のできる墓地を造ろうとしたことがある。スウェーデンのストックホルムの郊外にグンナー・アスプルンドの計画した墓地があり、大きな丘の芝生のなかの長いアプローチを行くと、大きな十字架があり、その奥の針葉樹の木立の間に、小さなロウソクが、ポツポツと灯されていた。小さな墓標があるだけだったせいか、木立のなかにあるせいで、爽やかさを感じた。北海道で、こんなものを造れたら、子供や孫たちが新緑の時、紅葉の時、雪の積もった時々に集まるような墓地になるに違いないと、実現に向かって頑張ったが、ダメだった。
先日三十周年記念を迎えた、アルテピアッツア美唄の芝生の丘の奥にも、アスプルンドの墓地と同じような木立があるので、ここに爽やかさを感じる樹木葬のできる場所を造ってみたいと思っている。