再見「ロングランエッセイ」の+と-
53:「 続・焼失 」 住宅雑誌リプラン68号(2005年4月1日)より一部転載
新しく建て直した家が、昨年十一月に出来上がり、無事に引っ越した。引き渡しのときに「よくできた。なんといっても大工さんたちが、手間を惜しまず良い仕事をしてくれた。それに較べたら設計の先生のほうが、負けてるなあ」などといわれたが、喜んでもらってよかった。しかし、驚いたことに二週間もしないうちに、あの親父さんが亡くなったという知らせが届いた。新築祝いの宛名書きなどを頼んだ息子達に、風呂に入りながら、なんだかんだといっていたという。静かになったので、様子を見に行ったら風呂に沈んでいたという。心臓発作だったという。
私が感動した「千の風に乗って」の詩を息子に持っていった。ネイティブアメリカンの詩といわれているが、千歳の牧場のあたりは風も強く、その詩がぴったりの風景である。繊細な神経を持つからこそ憎まれ口を叩いたりしたが、信念のしっかりした頑固な親父さんの心が、千の風になって農場の上を吹いているように思える。毎日、朝に昼に夕に吹く風になって、息子の働きと牧場の行く末を見届けているように思えてならない。私も「先生、どうだ。俺のいってることを聞いたから良い家になったべ」と、風が吹くたびにいわれている気がする。おかげで良い家になったよ、親父さん。
合掌。
+: この親父さんは、自称中学校中退と言うが土地の活用法について、説教されたことがあった。戦後に札幌近郊で、公的な大きな住宅団地が幾つも開発されたが、それに不満があるという。江別の大麻団地、札幌の真駒内団地などは、明治になって入植した農家の人が、汗水垂らして、開拓し、耕して、平にして、水はけも良くし、ようやく黒土の優れた畑に作り上げたんだ。その努力を無視するように、何にも採れない住宅地にしてしまうのは、けしからんというより、勿体ないんだ。あんたら建築の技術を持っていんだから、勾配の急な土地でも建物建てれるべ。したら、牛も難儀するような急な土地、崖みたいのところに集合住宅なんか建てればいいべさ。ただ、平で建てやすいからと、場所も簡単に決めてるべ。なるべく楽して、住宅地を作ろうとしてるべさ。それまでの農家の人達の苦労なんか、知らんぷりしてるのが、許せねーだ。もう随分前に聞かされた説教だが、環境うんぬんという時代になって、ようやく身につまされる気がする。ちゃんと覚えていて、伝えようと思うよ。親父さん。